アカデミー神戸進学会さんとの共同企画
今回はアカデミー神戸進学会さんの西富先生、そして学研新伊丹キャンパスの私と尾村先生との共同企画です。
私たち3人は定期的に勉強会をしています。勉強会の始まりは「よりよい教育をするにはどうしたら良いのか」を日々追求するためでした。
その勉強会でよく話題に上がるのが
今の子どもたちは将来、どうなっていくのだろう
予測不可能な社会で生き抜ける子どもたちを育てるにはどうしたら良いだろう
という問いです。
このようなことを考えていく中で子どもたちが自己実現するためにはどのようなことが必要なのかについて
教育観も違えば、世代も違う3人が同じテーマで記事を書こうということになりました。
三者三様の教育観や価値観を楽しみながら読んでみてください。
まず、私がどんな世代か
私は1997年生まれ、現在28歳の塾講師です。
幼少期から体操競技に打ち込み、週6日の練習が当たり前の毎日でした。夢は「体操競技でオリンピックに出て金メダルを取ること」。当時はそれを素直に口にできる空気があって、私自身も疑いもなく信じていました。夢を持てること、それ自体が当たり前だった時代です。
転機は中学3年生のときでした。体操競技の強豪校である報徳学園へスポーツ推薦での進学を考えていた私に、母がこう言いました。
「体操でお金を稼げるのは一握りやから、勉強して良い高校に行きなさい」
その言葉に、怒りそして悲しみを感じたことを今でも覚えています。夢を否定されたような気持ち。そして高校に入学してから上手くいかないことがあるたびに、「自分で選んだわけじゃないから」という他責の気持ちが言い訳として顔を出すようになりました。勉強にも身が入らなくなり、定期テストの順位は最下位近くまで落ちました。自分で決めていないことには、本気になれなかったのだと思います。
また、志望校となった県立伊丹高校には体操部がなく、スポーツ推薦を諦めることは体操競技を辞めることを意味しました。私が通っていた体操クラブも中学3年生までしか在籍できず、高校で体操部に入る以外に道はなかった。そうして私は、10年以上打ち込んできた体操を、あの瞬間に手放すことになりました。
そして時代の空気も、変わり始めていました。
高校に入るとスマートフォンとLINEが一気に普及しました。クラスのグループLINEが当たり前になり、一晩スマホを放置すれば100件超えの通知が溜まるのも日常茶飯事。自分の本音を言ったらグループから外されるのではないかという恐怖感が生まれ、「みんなに合わせなきゃいけない」という見えないプレッシャーが、教室の中に静かに広がっていました。
一方で、全く新しい生き方をする人たちも現れ始めました。HIKAKINさんに代表される、YouTuberという存在です。
「好きなことで生きていく」
この言葉が、自分の好きな生き方をしていいんだという希望を見せてくれていました。ただ当時の私は「自分の好きなこと=楽しいこと」と思い込んでいて、電車の中のサラリーマンを見て「こんな人生は送りたくない」と感じていたことを今でも覚えています。※これはあくまで当時の話で、今は愚直に働く方々を心の底から尊敬しています。
「良い学校に入る」「大企業に入る」という価値観が次第に薄れ、自分の好きなことをしていいという希望が持てた時代。しかしその一方で、「自分のしたいことがわからない」という人も大多数いました。
それは当然のことだったと、今なら思います。
中学までは偏差値の高い学校に行くことが全て、定期テストで良い点を取ることが全て。そのように決められたレールの上を走り続けてきた人生が、突然「好きなことで生きていっていいんだ」と言われても、動き出せるはずがありません。自分のことを自分で決めてこなかったのだから、何がしたいのかわからなくて当然です。
だからこそ私は、塾講師として生徒と向き合うとき、いつもこう考えています。
生徒の人生は、塾講師のものでも、親のものでも、学校の先生のものでもなく、生徒自身のものだ。
「受験勉強をすることは、本当に君のためになるのか」「どのような人生を思い描いているのか」
そういったことを生徒と一緒に考えながら、日々指導を行っています。
自己実現とは、一握りの特別な子だけに許された話ではありません。どんな子どもにも「なりたい自分になる力」は備わっています。ただ、それが育つかどうかは、子どもを取り巻く環境と、関わる大人の在り方に、深く関わっていると私は考えています。
このブログでは、子どもが自己実現していくために必要だと感じることを、いくつかに分けてお伝えしていきます。受験や成績の話だけでなく、その先にある「お子さんの人生」を一緒に考えるきっかけになれば幸いです。
①安心して失敗できる環境
突然ですが、あなたのお子さんは失敗を恐れていませんか?
テストで点数が下がることを極端に怖がる、間違えることを恥ずかしいと感じている、新しいことに挑戦する前に
「どうせ無理」と口にする。塾で子どもたちと向き合っていると、そういった場面に出会うことが少なくありません。
これは決して、その子の意志が弱いわけではありません。失敗したときに、周りの大人がどう反応してきたかが積み重なった結果だと、私は感じています。
「なんでこんな点数なの」「またミスして」
悪意はなくても、結果だけに目を向けた言葉は、子どもの中に「失敗してはいけない」という感覚を静かに植えつけていきます。そしてその感覚は、やがて「どうせやっても無駄」という無気力さへとつながっていくのです。
逆に考えてみてください。失敗しても責められない、間違えても否定されない。そういう環境にいる子どもは、どうなるでしょうか。
「もう一回やってみよう」「次はこうしてみよう」という気持ちが自然と湧いてきます。失敗を恐れないから、新しいことにも手を伸ばせる。知らないことを「知りたい」と思えるし、難しいことを「やってみたい」と思える。この感覚こそが、自己肯定感の正体ではないかと私は思っています。
自己肯定感とは、「自分は特別だ」「自分はすごい」という根拠のない自信のことではありません。「失敗しても、自分はここにいていい」「うまくいかなくても、また挑戦できる」という、自分の存在への信頼感のことです。
そしてその信頼感は、誰かから与えてもらうものではなく、失敗と挑戦を繰り返す経験の中で、少しずつ自分の中に積み上がっていくものです。だからこそ、失敗できる環境が必要なのです。
お子さんが何かに失敗したとき、結果よりも先に「よく挑戦したね」と声をかけてみてください。その一言が、子どもの中に小さな安心感の種を植えていきます。そしてその種が、やがて自己実現へと向かう力の根っこになるのだと、私は信じています。
②自分のことを自分で決める経験
安心して失敗できる環境が整ったとき、次に大切になるのが「自分のことを自分で決める経験」です。
塾で生徒と向き合っていると、こんな場面があります。志望校に向けて「これぐらいの学習量が必要だ」「ここができるようにならなければ」とアドバイスをしても、どこか他人事のように聞いている生徒。勉強に身が入らず、何のために頑張るのかがわからないまま席に座っている生徒。
そういうとき、私はこう問います。
「勉強をしない選択を取るなら、それ以外に何をするか教えてくれ」
自分の言葉で答えられる生徒は、たとえ勉強が苦手でも、どこかに自分の軸を持っています。でも何も考えていないのであれば、私は叱ります。誰の人生なのか。何をやったって正解なんだから、自分の人生ぐらい自分で考えろ、と。
なぜそこまで言うのか。それは自分のことを自分で決めてこなかった弊害を私自身が身をもって知っているからです。
私の世代を語ったパートでお伝えしたように、私は中学3年生のとき、自分で進路を決められませんでした。その結果、高校に入ってから上手くいかないことがあるたびに「自分で選んだわけじゃないから」という言い訳が頭をよぎりました。自分で決めていないことには、本気になれない。その感覚を、私はあの頃に学びました。
これは私だけの話ではないと思います。
中学までは「良い点を取ること」「偏差値の高い学校に入ること」が全て。決められたレールの上を走り続けてきた子どもが、突然「好きなことで生きていっていいんだ」と言われても、動き出せるはずがありません。自分のことを自分で決めてこなかったのだから、何がしたいのかわからなくて当然です。
28歳の今でも、自分のことを自分で決められない大人を多く見かけます。小さい頃から「自分で決めていい」という経験を積んできたかどうか。その差が、大人になってから静かに、しかし大きく現れてくるのだと感じています。
だからこそこの塾では、勉強を教えることはもちろん、その先の進路や生き方についても全力で向き合うと決めています。
生徒の人生は、塾講師のものでも、親のものでも、学校の先生のものでもなく、生徒自身のものです。
卒塾生が大学に入ってからも報告に来てくれるとき、みんな自分の言葉で自分の話をしてくれます。それが何より嬉しい瞬間です。そしてそれは、自分のことを自分で決めてきた経験が、確かに積み重なっている証だと感じています。
③憧れの大人に出会うこと
安心して失敗でき、自分のことを自分で決める経験を積んでいく。その過程でもうひとつ、私が大切だと考えていることがあります。それが「憧れの大人に出会うこと」です。
人は、見たことのないものを夢にできません。
医者を目指す子どもの多くは、身近に医者がいるか、医者に助けてもらった経験があります。スポーツ選手に憧れる子どもは、テレビや実際の試合でその姿を見ています。つまり、子どもが描ける夢の大きさは、出会ってきた大人の数と種類に、大きく左右されるのです。
①でお伝えしたように、私は高校生のとき電車の中のサラリーマンを見て「こんな人生は送りたくない」と思っていました。今となっては恥ずかしい話ですが、あの頃の私には「楽しそうに働く大人」の姿が見えていなかったのだと思います。見えていないものには、憧れようがない。それが当時の私の限界でした。
だからこそ今、私は塾講師としてこう考えています。
生徒にキャリアの相談に乗り、「好きなことで生きていけ」と伝えるなら、自分自身がそれを体現していなければならない。勉強し続けることを生徒に求めるなら、自分自身が学び続けなければならない。口で言うだけでなく、生き方そのものでロールモデルになること。それが、子どもたちと向き合う大人の責任だと思っています。
これは塾講師だけの話ではありません。
お父さん、お母さんの姿も、子どもにとって最も身近なロールモデルです。「楽しそうに仕事をしている親」「失敗しても前を向いている親」「自分の好きなことを大切にしている親」そういった姿が、子どもの中に「大人になるのも悪くない」という感覚を育てていきます。
子どもに夢を持ってほしいなら、まず大人が夢を持つ。子どもに挑戦してほしいなら、まず大人が挑戦する。子どもの自己実現を願うなら、大人自身が自己実現に向かって生きている姿を見せることが、何より雄弁なメッセージになるのではないでしょうか。
子どもは、大人の背中を見て育ちます。
どんな言葉よりも、どんな教材よりも、目の前の大人が輝いて生きている姿が、子どもの未来への扉を開く鍵になると、私は信じています。
おわりに
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
今回この記事では、子どもが自己実現していくために私が大切だと感じる3つのことをお伝えしました。
安心して失敗できる環境。自分のことを自分で決める経験。そして、憧れの大人に出会うこと。
どれも、点数や偏差値では測れないことばかりです。でも私は、この3つが揃ったとき、子どもは自分の人生を自分の力で歩き始めると信じています。
振り返ってみると、私自身の子ども時代にも、この3つがありました。やりたいことを応援してくれた母。何も言わずに「頑張ってこい」の一言を送ってくれた父。全力で支えてくれた祖父母。完璧な環境ではなかったかもしれません。それでも、失敗しても受け止めてもらえる安心感と、自分で決めていい自由が、確かにそこにありました。
一方で、自分で進路を決められなかった中学3年生の自分が、高校で無気力になっていったことも覚えています。あの経験があるから、今目の前の生徒に「自分の人生ぐらい自分で考えろ」と言えます。きれいごとではなく、身をもって知っているからこそ言える言葉です。
自己実現とは、どこか遠い話ではありません。毎日の小さな選択の積み重ねが、やがて「自分らしい人生」へとつながっていくのだと思います。
お子さんの隣にいる大人として、一緒に考え続けていきましょう。この記事がそのきっかけのひとつになれば、こんなに嬉しいことはありません。
これを読んでくれた皆さんも、三者三様の記事の「違い」を楽しんで頂けたら幸いです。


コメント